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第五話「きつねと福なべ」
 むかし、熊川に、佐吉という かじやがいました。佐吉は、すきやくわのほかに、なべやかまも つくっていました。

 ある日、はやしのなかを あるいていると、
「ケーン ケーン」
と、きつねの、くるしそうな なき声が きこえてきました。
 いってみると、一ぴきのきつねが、りょうしのわなに かかっていました。

「おお、かわいそうに」
 きつねは、足から 血をながして、ぐったりしていました。
 佐吉は、きつねを わなからはずして、家に だいてかえり、きずのてあてを してやりました。
 三日もすると、きつねは、すっかりげんきになりました。
「おかげさまで、このとおり よくなりました。いのちを たすけていただいた おれいに、なにか したいのですが」
と、きつねは いいました。
「そうかい、もうだいじょうぶかい。よかったよかった。べつに れいなんかしなくてもいい。それより こんだは、わなに きいつけてな」
 佐吉は、やさしくいいました。
 きつねは その夜、なべをもって どこかへ でかけました。
 しばらくして、酒どっくりをさげて もどってきました。
「こんな おれいしか できませんが、これでばんしゃくを してください」
と、酒どっくりを さしだしました。
「どうして また酒なんか。おめぇ、まさか、どっかで ぬすんできたんじゃ ねぇだろうな」
「とんでもない。清水坂の酒やで もらってきたんです。ほんとです」
 きつねは、しんじてください、といいました。それでも 佐吉は、なにか ふにおちません。
「木のはっぱの お金で、酒やを だましたんじゃねぇか。それとも、もしかして、馬のしょんべんじゃ?」
「そんな…」
「それじゃ、あのなべは なんのために もっていったんだべさ」
「とっくりが なかったので、なべにしたんです。でも、酒やで、とっくりを かしてくれました」
 きつねは、なみだぐんで いいました。
「よし、わかった。おめぇを しんじよう」
と、佐吉は 一口のんでみました。
「うん、こりゃあ ほんものだ。うたがったりして わるかったな」
 佐吉は、チビリ チビリと、さかずきを口にしながら、すっかり いいきもちになりました。
 つぎの日、佐吉が 夜なべをすませると、また、酒のよういが してありました。
「おや、こんやもかい。すまないね」
 佐吉が、目をほそめて うまそうにのむのを、きつねは、とてもうれしそうに みていました。
 ところが、そのつぎの日も、また そのつぎの日も、きつねは 酒をもってくるのです。
(みょうだべょ。いくら清水坂どんが いい人でも、こうまいばん きつねに 酒をくれるとは おもえねぇ)
 佐吉は、とっくりとなべを さげてでていく、きつねのあとを そっと、つけてみることにしました。
 ぞう木ばやしを ぬけて、清水坂の 酒やのまえまでくると、きつねは、あたりを キョロキョロ みまわしました。
 そして、きつねは、もっていたなべを あたまに すっぽりかぶりました。
 すると、あっ、というまに、なべが かさになり、ころもすがたの お坊さんになりました。そのまま、
「ごめん」
と、いって、門を くぐっていきました。佐吉は びっくりして、あとをおい、ものかげから、みせのなかを うかがいました。

「おや、おしょうさん。こんやもおいでですか。まいばん おでかけじゃ たいへんだと おもいまして、さっき、一斗だるを お寺に はこばせておきましたが」
と、しんせつそうな ばんとうの声がしました。
「えっ、一斗だるを、寺へ?そりゃたいへんだ」
「あの、なにか、たいへんというと‥‥」
「い、いや。なに。寺には酒、いや、はんにゃとうのすきな 小僧どもがいてな。そいつらに みつかると、こまったことに なるんでな」
 きつねのおしょうは、ほんとに こまったような 声をだしました。
「そうでしたか。かってなことをして もうしわけありません。すぐに、ひきとりに いかせますから」
 そのとき、
「それには、およばないぞ」
と、いって、入ってきたものがいました。

 それをみた ばんとうは、目を白黒。
 お寺の おしょうでした。
「ありゃ、おしょうさんが 二人になった。どっちが どっちだべよ」
「わしが ほんものじゃ。この坊主は、きつねが 化けたのに ちがいない」
と、きつねのおしょうが いいました。
「このバカめが!。夜中に酒かいに、かさなんぞかぶる坊主が どこにいる。さっき ここの わかいものが 酒だるを もってきたので、はなしをきいて おどろいた。よくも わしに化けおったな」
 あとからきた おしょうは、そこにあった ぼうで、かさの上から あたまを たたきました。
 かさといっても、もとは なべなので、
 コーォン、ウォン、ウォン、ウォン、ウォン
と、きつねのあたまと耳に ひびいたから たまりません。目をまわして ひっくりかえり、たちまち きつねは、しょうたいを あらわしました。
 そのきつねに、なおも、ぼうを ふりあげようとする おしょうのまえに、佐吉は とびだしました。
「おしょうさま、かんべんしてくんろ。たたくんなら、おらにしてくんろ」
 目をまわした きつねを、かばいながら、佐吉はいいました。
「おや、おまえは かじやの‥‥。ははぁ、おまえが きつねを そそのかして、ただ酒を せしめていたんだな」
「とんでもねぇ。じつは、このきつねは」
と、佐吉は、いままでのことを はなしました。
「そんなわけで、もっとはやく たしかめれば よかったのに、もうしわけねぇ。酒だいは、かならず おかえししますから、どうか きつねをゆるしてくんろ」
 はなしをきいた、おしょうは、
「ふむ、ちくしょうとはいえ、かんしんな きつねだ。もう二どと、人をだまさないと やくそくしたら、ゆるしてやろう」
と、いいました。
 そして、きつねに、おいなりさまの さいせんどろぼうの ばんをするよう、いいつけました。
「ところで、ばんとうさん。酒だいはいくらかな。わしがはらってやろう」
 おしょうがいうと、
「いえいえ。こんな いいはなしなら、ただでけっこうです」
 ばんとうも、すっかり かんしんした ようすです。
「それはありがたい。ところで、かじやどん。わしの寺の名の 福をとって『福なべ』というなべは できんかのう。ひとつ、村おこしのために、いいなべを つくってほしいんじゃが」
「ありがてぇこってす。きつねを ゆるしてもらったうえに、なべの名まえまで いただいて‥‥」
 佐吉は、大よろこびで、福なべづくりの やくそくをしました。
 さっそく、ほうぼうの かじやや、いもじたちに きてもらい、みんなで 力をあわせて、いままでにない べんりななべを、つくりだしました。
 福なべは、とぶようにうれたので、そのあたりを、「鍋ヶ谷戸」と よぶようになり、村は たいへんさかえました。
 そして、村の おいなりさまを まもることになった きつねは、なぜか、
「コーォン、ウォン、ウォン、ウォン」
と、なくようになり、どろぼうがくると、村中にきこえるように 大声でなくので、どろぼうは よりつかなくなり、みんなは あんしんして くらすことができた、ということです。
お母様へ
●鍋ヶ谷戸、原ヶ谷戸、萱戸などの「戸」は、垣の意味もありますが、水門の戸でもあります。福生は湧水が豊で、灌漑用水路がめぐらされ、いくつかの戸によって水路の変更や、水量を加減して、田畑や各家の用水を供給したものと思われます。その水門のあった所が地名として残ったのでしょう。
●鍋ヶ谷戸にかぎらず、福生には、古い屋号に「かじや」が多いといわれます。それは、多摩川の砂鉄や水、燃料などの条件に恵まれ、かつて渡来してきた金工技術者の伝統が定着したのではないでしょうか。また、羽村の二大鋳物師、渡辺・桜井氏が寺の吊鐘、ワニ口などに名作を残しているのを見ても、この地域には鍛冶場、窯場が点在していたのは、容易に想像できます。
●福生(地名・私見)
 鉄を溶かすことを古来から「ふく」と言います。これは、吹子(ふいご)から来たものですが、古代、鉄鉱精錬技術者をはじめ、鍛冶、金工、陶工などを伊吹部(いおきべ)と呼び、後に伊福部に改称されたといわれています。
 あくまでも私見ですが、福生は、そうした技術者たちが『砂鉄を吹いた所』だったとすると、吹砂→福砂→福生、になったのでは、と推理するのですが、いかがなものでしょうか。
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