福生重松流囃子
伝統・文化福生重松流囃子
福生重松流囃子(ふっさじゅうまつりゅうばやし)
明治時代の初期、重松流囃子の創始者である古谷重松(天保元年三月十七日生まれ)は、商売の関係で牛浜地区に滞在したときに、福生をはじめ羽村、二宮(あきる野市)、平井(日の出町)の若者に囃子を指導し、各地で囃子連をつくった。しかし福生では長くつづかずに途絶えてしまった。
その後、1947年(昭和22年)になって、戦後の低迷した空気の流れる地域を活気づけようと、福生の青年たちが羽村や二宮の人たちに教えを求め、青年団の支部ごとに新しく囃子連を結成した。こうして、重松流祭囃子が夏祭に登場するようになった。
現在市内で受け継いでいるのは、
・加美町囃子連
・奈賀町はやし連
・永田町囃子連
・本八第一囃子連
・本八第二囃子連
・志茂町囃子連
・志茂睦囃子連
・牛濱囃子連
・牛濱重松囃子保存会
・原町囃子連
・熊牛囃子連
・くまこ囃子連
・鍋一囃子連
・鍋二囃子連
と言われています。
重松流囃子の特徴
決まった譜を持たずに、すべて口伝で引き継がれています。「地囃子」として基本の太鼓はありますが、その時の雰囲気で、たたいているうちに、相手のたたき方を見抜いて、自分で工夫し、即興的に自由に変奏していくのが特徴で、これを「チラシ」と言い、即興的な演奏が基となっています。現在はいろいろな所で色々な形の「重松流囃子」が伝承されています。
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本町の屋台囃子(福生駅前通り 昭和23年頃)屋台は近村から借りてきたもの。
※出典:福生市教育委員会発行「福生歴史物語」