横田基地ストーリー
福生ミニ辞典横田基地ストーリー
本州最大の米空軍基地(公称:横田飛行場)
福生市の東北部およそ1/3は在日米空軍横田飛行場です。
ここには在日米軍司令部、第5空軍司令部、第374空輸航空団司令部がおかれています。また基地内には、病院、郵便局、消防署、学校、将校クラブ、下士官クラブ、ゴルフ場、教会、住宅などがあります。
【歴史】
1940年(昭和15年)旧帝国陸軍立川飛行場の付属として多摩飛行場が建設されました。敗戦後、1945年(昭和20年)9月4日にアメリカ軍に接収されました。その後、拡張工事が行われ1960年ごろには現在の規模となりました。1971年(昭和46年)以降、戦闘部隊が沖縄に移転したことにより、現在は輸送中継基地として機能しています。
【名の由来】
「横田」の由来は、当時基地の東にあった村山村(現在の武蔵村山市)にあった地名から取られたといわれています。
【米軍放送】
AFN(American Forces Network)のスタジオは横田基地内にあります。かつてはFEN(Far East Network・極東放送)と呼ばれていました。
AM放送局:AFN Tokyo 810kHZ 50kW
一般開放イベント
軍事基地ですので一般人の入場には制限があります。入場するためには、「基地内に保証人がおり、ゲートまで迎えにきてもらうこと」「パスポートまたは運転免許証などの身分証明書を携帯すること」「米国にとって敵性国籍を持っていないこと」の三つの要件を満たしている必要があります。しかし、年に数回一般に開放されるイベント時には、許されたエリア内に限り入場することができます。(持ち物検査・身分証提示が必要となることもあります)
●1月 フロストバイトロードレース(参加希望者及び同伴者のみ)
●4月 サクラの開放日
●6月 横田駅伝(参加希望者及び同伴者のみ)
●8月 日米友好祭
その他、演奏会や基地内ツアーなどがあります。
横田基地前国道16号沿い商店街
ここの商店街は南北総延長1.6kmにたくさんのユニークな店舗の広がりを見せています。福生十景にも選ばれています。
米軍ハウス
1970年(昭和45年)頃、基地の人員が増え基地の外にも住居の必要性ができました。そこで米軍ハウスと呼ばれる、庭がある白い平屋の家がたくさん作られました。その後、基地の人員縮小に伴い空き家がうまれるようになり、日本人が住み始めました。年数が経ち老朽化の問題もでてきましたが、福生の歴史の一つとして保存の動きも出てきています。