やくびょう神
創作民話 むかし福生第一話「やくびょう神」
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むかし、海のむこうの とおい とおい国へ、竹ざいくを ならいにいっていた 金太という男の子がいました。三年も べんきょうしたので、いろいろな 竹ざいくができる りっぱな職人になりました。いよいよ ふるさとの福生へ、かえってくることに なりました。
「はやく けえって、みんなに あいてえなあ。みんな げんきだべか」
かえりの ふねの中で、ひさしぶりにあえる かぞくのかおや、なつかしい村の人たちを おもいうかべていました。
「さっきから ニコニコしているが、なにか いいことでも あるのかい」
となりにのっていた かた目の男が、金太にききました。
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「これからは、おらがかぞくで たのしく くらしていけんから、うれしくってよぉ」
金太は、おみやげいっぱいの にもつを、たいせつそうに かかえながら こたえました。その男は、ニヤリとして いいました。
「へぇ、それは いいことをきいた。わしは、そういう しあわせになろうとする人の ところへいって、こまらせるのが だいすきなんだ」
なんと、かた目の男は やくびょう神だったのです。
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やくびょう神というのは、人を病気にしたり けがをさせたりする、あくまなのです。
「とんでもねぇ!、おらがには ぜったいに きねぇでくんろ」
金太は、びっくりして たのみました。
「それじゃ、そのみやげを わしにくれないか。それなら いかないようにしてもいいが」
「このみやげは やれねぇなぁ。みんなが まってんからよぉ」
「ふぅむ、それじゃ しかたがない。おまえの家へ、一ばんさきに いくことにしよう。そのあと、村中を 一けんずつ ゆっくりと‥‥、ヒヒヒ」
やくびょう神は、したなめずりを しました。
「ちょ、ちょっくら まってくんろぃ。わ、わかったからよ。みやげはみんな やるから、村のみんなを ふしあわせにだけは、しねぇでくんろ」
金太は、かぞくへの すこしのおみやげより、村中のしあわせのほうがだいじだと おもいました。
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ところが やくびょう神は、おみやげのつつみを うけとろうとしないで、そのまま金太に おしもどしました。
「よし、わかった。これはもってかえっていい。村をだいじにする おまえの、その心がけが きにいった。
じゃがな、おまえの家に、なにか目じるしを つけておかないと、まちがえて はいっていくかもしれんぞ」
「は、はい。おらぁ、竹ぜぇくの職人なんで、目じるしに ヌキナシってザルを つるっておくからよぉ」
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やくびょう神と やくそくした金太は、村にかえると さっそく そのはなしをつたえ、ヌキナシをつくって入り口につるしました。それからは、やくびょう神が やってくるという十二月八日と 二月八日には、家ののきさきに ヌキナシやメザルをつるしたり、ねぎや魚のあたまを こがして いやなにおいをさせ、おいはらうように なりました。
かた目のやくびょう神は、ザルの たくさんの目で にらみかえされ、
「いやはや、わしも ずいぶん きらわれたもんじゃわい。まいった まいった」
と、福生には よりつかなくなった、ということです。
お母様へ
●疫病神(一つ目小僧)
この嫌われものの疫病神は、一本足の一つ目小僧ともいわれ、十二月と二月の八日にやってきて、表にでている下駄に焼き印を押したりするので、その日は履物を全部家の中に隠したり、鰯やさんまの頭を焼き、これに唾を吐きかけるまねをして、災厄よけのまじないをするなど、福生にかぎらず武蔵野地方には、こうした奇妙な行事が残っていました。十二月八日を(事始め)、二月八日を(事納め)といい、その間の新年の神事を行うための清めの風習が、農作物の害虫駆除、災厄よけと重なり合い、疫病神の出現となったといわれています。
ところで、この疫病神は、その祖に天目一箇神(あまのめひとつのかみ)という銅鉄精錬の神をもつ鉱業神だという説があります。鉱石の採掘や砂鉄の採集は、山をくずし平地を掘り返し砂を川でさらすので、河川は汚れ、土地は荒れ、農地は公害にさらされます。したがって、農耕文化の発達にともない、高度な冶金技術者は疫病神そのものに例えられたのでしょう。溶鉄炉の炉穴から、火色を片目でのぞくために炎で失明した異形な顔と、大きな吹子で風を送るために片足でタタラを踏む姿は、百姓にとっては一眼一脚のお化けとして映り、忌み嫌われたと思われます。
●ヒョットコ
ヒョットコは、火男(ヒオトコ)、つまり、鍛冶技術者でありながら、阿亀(オカメ、農耕神)のまわりで、ウロウロとヒョーキン踊りをさせられるのも、そこにさげすみの意を見ることができます。