せえの神場
創作民話 むかし福生第十一話「せえの神場」
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むかし 多摩川が、多麻川と いわれたほど、川原には、麻が たくさん おいしげっていました。その麻で、じょうぶななわや ひもをつくっている兄弟がいました。
ある日、二人は、かりとった麻のたばを せなかにしょって、川ぎしの坂をのぼると、いつもひと休みする、せえの神場へ たどりつきました。
神場は、どんど場ともいって、塞の神さまを まつってありました。
「どっこいしょ」
二人は、麻たばをおろして ねそべりました。
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「ああ、うんざりだなぁ。馬か牛がほしいなぁ」
と、兄がいいました。兄はなまけもので、麻をかるのも はこぶのも 弟のはんぶんくらいでした。
「もっと、うんとうんと はたらけば、馬だって かえるようになるべょ、あんちゃ」
弟は、兄を はげますようにいいました。そのうちに、二人とも つかれがでたのか、ねむるでもなく うとうとと してしまいました。
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すると、
「これこれ、二人とも。よくはたらいているようだから、ほうびに、馬と牛をあげよう。それぞれ すきなほうを とるがいい」
と、いう声がしました。
二人は、びっくりして とびおきました。あたりには、だれもいません。
「だれだべな。たしか声がしたようだが。そらみみだべか」
二人が キョロキョロしていると、塞の神さまの ほこらのわきから、馬と牛が けむりのようにあらわれてきました。
二人は、びっくりぎょうてん。
「ややっ、ほんとに馬と牛が‥‥。やっぱし だれかいる」
「あの もし、かくねていねぇで、でてくらっしぇ」
すると、ほこらのなかから 声がしました。
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「わしは、ここじゃ。塞の神じゃ。おどろくことはない」
「ええっ、せ、せえの神さまで ござらっしゃるべか。ほんとに、あれをくださるんで」
「ほんとうだとも。この馬と牛を、たいせつにして はたらくがよい」
塞の神に そういわれて、兄弟は、とびあがって よろこびました。
馬は、くり毛でたくましく、つやつやして げんきいっぱいです。牛は、白っぽい毛なみで、やせて うなだれていました。
「じゃあ、おら、馬をもらうべ」
兄は、麻たばを さっさと 馬にのせると、パッカパッカと いってしまいました。
弟は、牛のくびを なでながら、
「ありがてぇことだ。これからよろしくな。なかよくすべぇ」
と、うれしそうにいいました。
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兄はそれから、雨の日も風の日も、麻を山のように 馬につんで、
「ほれ、しっかりせぇ。もっとはやくあるけ!やせ牛なんかに まけるんじゃねぇぞ。この ただめしぐいが」
と、馬のおしりを、ムチでピシリッ、とひっぱたきながら、こきつかいました。こうして、弟の牛の なんばいも はたらかせたので、兄は金もちになりました。兄はそのお金をもって、永田の宿へ、あそびにいくことを おぼえました。たび人たちと、ばくちをしたり、酒をのんで どんちゃかさわぎをしたり、たのしくて たまりません。
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兄は、もっともっと お金がほしくなりました。
ところが 馬は、えさももらえず、そのへんにはえている草しか たべられなかったので、すっかり やせてしまいました。
それでも兄は、馬がみえなくなるほど 麻をつみあげて、
「なんでぇ、このクソったれ、とっととあるけっ」
と、やせて ほねのつきでたおしりを、ムチで力まかせに たたきました。
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馬は、口から あわをふきながら がんばるのですが、よろけるようにしか あるけません。
みるにみかねた 弟は、
「あんちゃ。それじゃ、馬が かわいそうだべ。やすみやすみ、ゆっくり はこべば いいべよ」
と、いいました。
弟は、神さまから いただいた牛なので、えさを たくさんたべさせ、牛ごやのワラは いつもかえてやり、たいせつにしてやったので、毛なみは かがやくように まっ白になり、力づよく たくましくなっていました。
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「じゃあ、おらぁ、こっちの道のほうが ちけぇから、さきにいくべぇ」
弟は、べつの道を ゆびさしました。
「なんだよ、ちか道があるんか。そんなら おらも、そっちへいくべぇ」
「でもよぉ、その馬じゃ、きゅうな坂は のぼれねぇべょ」
「なんの、牛がのぼれる坂ぐれぇ、馬がのぼれねぇ はずがねぇ」
と、兄は、弟のとめるのも きかないで、ついてきました。
やがて 目のまえに、坂というより、きりたったがけが あらわれました。
「これを のぼるんか‥‥」
さすがに兄は、そそりたつ がけをみあげて、いきをのみました。
「なぁ、あんちゃ。わるいことは いわねぇ。とおまわりでも、あっちの道がいいべよ」
「でもよ、これをのぼれば、はんぶんの道のりだ。いままでのばいは、かせげるわけだ。いくべぇ」
兄のことばに、しかたなく 弟は、牛を さきにのぼらせました。牛は、二本のつめをたてて、トットと のぼっていきました。
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弟は、馬のまえで たづなをひき、兄は フーフーいいながら、あせびっしょりの 馬のおしりを おしあげていきました。
一本づめの馬の足では、三歩のぼって 二歩さがるように、すべってしまいます。
「ここさえ のぼれば、あとは だいじょうぶ」
弟が、馬を はげましたとたん、ひづめの下の いわが ガラッと かけおちました。あわてた兄は、馬から 手をはなしました。馬は、せなかの麻のおもみで、グラリとかたむき、ずるずるっと 足がすべって、がけを まっさかさまに ころげおちていって、くびのほねをおって、とうとう しんでしまいました。いっしょに ころげおちた兄も、足に大けがを してしまいました。
「クソッ、なんて だらしのねぇ馬だべ。こんだは、もっと ましな馬をもらってきべぇ」
兄は、したうちしながら びっこをひきひき、神場へ むかいました。
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兄が 神場についたとたん、
「このばかものめが!」
と、かみなりのような 声が、おちてきました。
「へっ」
兄は、ちぢみあがって しまいました。
「馬を たいせつにしろと、いったはずじゃ。それを えさもやらずに、じぶんばかり あそびほうけたうえ、とうとう 馬をしなせてしまったとは、なにごとだ。そのばつに、おまえの足を、まがったままにしておいてやる。もしも、心をいれかえて、弟のてつだいをして はたらけば、そのうち なおることもあろう」
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神様にしかられた兄は、目がさめたように 心をいれかえ、神場のそばに 馬のおはかをつくり、「ばとうかんのん」の石をたてて、まいにち、おいのりをしました。
そして、弟のてつだいを、いっしょうけんめいにしたので、二人は、「兄弟長者」といわれるようになり、兄の足は いつのまにか、まっすぐに なおったそうです。
それからは、ふたつの道を、「馬坂」、「牛坂」とよぶようになり、村人たちは、馬は馬なりに、牛は牛なりに、人は人なりの道があることをおそわった、ということです。
お母様へ
●塞の神場
村境などで、小正月(1月15日)に、門松、竹、しめなわなどを焼く、いわゆる「どんど焼き」の場所で「さえのかんば」と言われました。塞の神は道祖神で、邪霊の侵入を防ぎ、行路の安全を守る神です。昔、中房(中福生)にありました。
●多麻川
多摩は、多麻、多磨、玉、多米、多波と書かれ、三国史の多波那国に由来するという説があります。なお、現在の中福生を、中房と言ったことから、福生の語源は、麻→房→福生ではないか、という人もいます。
●馬坂、牛坂
今は、地名としては残っていませんが、中福生にありました。
●馬頭観音
菩薩で、八大明王の一人、馬頭明王ともいい、馬の保護神です。
●永田の宿
永田の渡し場は、秋川、五日市と古江戸道を結ぶ重要な通過点で、現在も、宿橋通りとして名を残しています。