竜神さまのひるね
創作民話 むかし福生第十二話「竜神さまのひるね」
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むかし、福生の、ある夏のことでした。まいにち まいにち、カンカンでりの雨のふらない日が つづきました。畑の やさいもかれ、田んぼもひあがり、多摩川の水も カラカラになってしまいました。
「このまんまじゃ、村は さばくになっちまうべ」
「もうちっとで、いどの水が なくなるべよ。そうなったら、みんなしんじゃうべ。どうしたら いいべなあ」
「雨がほしい、雨がほしい」
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雨ふり山には、雲一つありません。
村人たちは、ギラギラかがやく、お日さまを みあげて、うらめしそうにいいあいました。
雨の神の竜神さまは、雨をふらせることをわすれてしまったのでしょうか。
村人たちは、みんなで 雨ごいのおいのりをすることにしました。
宝蔵院のひろばに あつまった村人たちは、みんなでもちよった むぎわらで、大きな竜をつくりはじめました。大人も子どもも、みんなで 力をあわせたので、ながさが 二十メートルもある、りっぱな竜ができあがりました。
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竜のほかにも、風神さまや 雷神さまのすわる みこしもつくりました。竜神さまに おそなえする、お酒やごちそうも よういしました。
それから、村人たちは、ふんどし一つの はだかになって、体に まっ黒なすみを ぬりたくり、みこしと竜を かつぎあげました。
♪大岳山の 黒雲さん
これ かかれ 夕立ち
あの雲 かかれば
雨か あらしか
セィヤ セィヤ♪
かけ声あわせて うたいながら、永田の水神さまのそばの、「竜づけばけ」と、いうところまでいきました。
そこで たちどまり、がけの上から、
「セーの、ドッコイショ」
と、大きな竜を、水のない 多摩川へ なげこみました。それから、みんなで 雨ふり山にむかって おいのりをしました。おいのりが すむと、川原へおりて、みんなで酒をのんだり、かねやたいこをたたいて、うたったり おどったりして、大さわぎをしました。
その音は、多摩の峰みねに ひびきわたりました。
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大岳山のてっぺんで、ぐっすり ひるねをしていた 竜神さまは、あまりのさわがしさに、ふと 目をさましました。峰のあいだから のぞいてみると、川原では、村人たちが「雨、雨、ふれふれ」と、はだかになって 大さわぎをしていました。水のひあがった 竜づけばけには、およげなくて こまっている むぎわらの竜もいました。
「やれやれ、すこし ねすぎた ようだわい。これ、風に雷。おまえたちも もう おきなさい」
竜神さまは、いっしょにねていた 風神さまと 雷神さまをおこして、
「下を みてみなさい。村人たちが、わしらに ごちそうして くれるらしいぞ」
と、いいました。
竜神さまは、雨雲を わきおこしながら、村人たちの かねやたいこにあわせて、空一ぱいに おどりはじめました。風神さまと 雷神さまも、まけるものかと めちゃくちゃおどりを はじめました。
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大岳山にも 雨ふり山にも、みるみる 雲が かかってきました。雷がなり、風もでてきました。やがて、村人たちの まちにまった雨が、ザーッと、音をたてて ふりだしてきました。
「わぁーい、雨だ雨だ」
「バンザーイ」
村人たちは うれしなきをして、村がさばくに ならなかったことをよろこびあった、ということです。
お母様へ
●宝蔵院
現在は廃寺で、宮本橋(旧宝蔵院橋)際に、観音堂として残っています。
●水神様
永田クラブの隣にある関上神社で、現在は神明社に合祀されています。その昔、洪水時に古堰に流れついた、妙見に似た十五センチほどの像を御神体とし、堰は関と同訓から関上神社としたそうです。
●竜づけばけ(ばけ=がけ)
柳山公園あたりの、多摩川の屈曲部の断崖には、竜が住むにふさわしい淵があったのでしょう。
●雨降り山
双子山とも呼ばれ、五日市町と桧原村の間にある、馬頭刈山と鶴脚山の俗称で、右後方に大岳山があります。双子山は、快晴の時はよく見えないが、大岳山や後ろの山々に雲がかかると、はっきり見えてくる。こんな時には雨が降る、といわれたそうです。