こんにゃくばばあ
創作民話 むかし福生第十四話「こんにゃくばばあ」
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むかし、福生に、こんにゃくばばあ という お化けがいました。
夜おそく、道を あるいている人の ほっぺたを、ながーい舌でペロリとなめるのでした。なめられたほっぺたは、くさってしまうので、たいそう こわがられていました。
ある山伏が、そのはなしをきいて、
「よし、そのお化けを たいじしてやろう」
と、山から おりてきました。
山伏は、金剛杖という ぼうをもっていました。そのぼうは、刀がはいっていて、なぜか、かえるの絵がほってありました。
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山伏は、こんにゃくばばあが でるという、熊野橋あたりにきました。
「ヒッヒッヒッヒッ、おまえも なめられにきたか」
橋の下の くらやみから、きみのわるい声がしました。
「おのれ、化けもの、こっちへでてこいっ!。わしが やっつけてやる」
「ヒッヒッヒ」
山伏にこたえるように、橋の下から ふわり、と 黒いものが とびだしてきました。
かおはしわくちゃで、口が耳までさけ、ながい舌を びらびらさせた、うわさの こんにゃくばばあでした。
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山伏が、金剛杖から 刀をぬいたとたん、ばばあの左うでが するすると のびてきて、山伏のかたに つかみかかりました。山伏は、スパッ、とそのうでを きりおとしました。
ところが、きりおとされたあとから、ニョロニョロと あたらしいうでが はえてきました。
「ヒッヒッヒ、おまえごときに おれがやられるか。うでなんぞ、いくらでも もっておゆき」
こんどは 右手がのびてきたので、スパッ、ときりおとすと、またニョロニョロと はえてきます。山伏は、さっ、とちかづいて、右足をきっても ニョロニョロ、左足をきっても ニョロニョロ。いくらきっても すぐはえてきます。
「ヒッヒッヒ、そろそろ ほっぺたを なめてやろうか」
ばばあは そういうなり、舌をベロベロッと のばしてきました。
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山伏は、すばやくうしろにさがって、のびてきた舌を さっ、と刀で よこにはらいました。ところが、その刀に、ばばあの舌が くるくるとまきつきました。
「な、なんと」
刀は、おしてもひいても うごきません。山伏は刀をはなし、首にかけた じゅずを、ばばあのひたいめがけてなげつけました。
「いてえっ」
ばばあが ひるんだすきに、山伏は、刀をうばいかえして にげかえりました。
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「なんて おそろしい べろなんじゃ」
かたでいきをしながら 刀をみると、刃はボロボロ。山伏は、福生一ばんの刀かじを たずねてそうだんしました。
「みてのとおり、刃がボロボロじゃ。これでは あの化けものを たいじできない。そなたに、なにものにもまけない 刀がうてぬか」
刀かじは、ざんねんそうに こたえました。
「せっかくですが、うちにはいま、むこうづちがいないので、大刀はうてないのです。」
大きい刀は、大づちでうつ、むこうづちという人が ひつようなのです。刀がなくては、化けものたいじは できません。
二人がこまっていると、トントンと 戸をたたく音がしました。
戸をあけてみると、白いきものをきたりっぱな若者が たっていました。
「おこまりのようですが、わたしが むこうづちを ひきうけましょう」
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若者はそういうと、そこにあった大づちを手にとり、刀かじに 小づちあわせを たのみました。
トンテンカン、トンテンカン、
二人のいきは ぴったりあい、若者は みごとなうでまえでした。
山伏とやくそくした 刀かじは、それからは まい朝、金ぼりの滝にうたれて 体をきよめてから、熊野さまにおいのりして、炉にむかいました。
いく日かして、二人は、りっぱな刀を つくりあげました。
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山伏は、その刀に、かえるの絵がほってある つばをつけて、でかけました。
そして、「ヒッヒッヒ」と、わらっている こんにゃくばばあの 手足をきりはらい、舌がのびてくるよりはやく、空中にとびあがり、ひたいからまっぷたつに、きりおろしました。
「ギャーッ」
大声で のたうちまわる、こんにゃくばばあは、みるみる一ぴきの 大きな なめくじのすがたにかわり、ヒクヒクしながら しにたえました。こんにゃくばばあの しょうたいは なめくじだったのです。
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山伏は、さっそく 刀かじをたずね、
「たったいま、あの化けものを うちはたしたぞ。刃こぼれなど、一つもない すばらしい名刀じゃ」
「それは おみごとでした。これで、村の人たちは あんしんできます」
刀かじは ことのほか よろこびました。
「ところで、あの若者が みえないが」
「はい、それが、ふしぎなことが ありまして。ちょうど、山伏さまが 化けものを きりすてたころでしょうか、あの若者は『わたしの用は すみましたので』といって、そとへでるなり、一すじの 白いへびのような けむりになって、熊野さまの森のほうへ きえていったのでございます。
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刀かじのはなしをきいた 山伏は、ふかくうなずきました。
「あの若者は、神のつかいであったのじゃ。むこうづちに すがたをかえて、この名刀をつくって くださったとは、まさに 神のごかごというべき、ありがたいことじゃ」
山伏は、その刀を 熊野さまにおさめました。
そして、山伏が 山にかえろうとすると、ふしぎなことに 村中のかえるが 声をそろえて ほめたたえるように なきだしました。
そのころから、熊野さまのけいだいには、大きな石のかえるが おかれるようになり、村人たちに とてもしたしまれました。
そして、刀かじは、それからは 刀をうつことをやめ、よくきれる かまやなたに、すきやくわなど、田畑につかうどうぐを つくったので、ますます 村人たちにしたわれ、名工の名は、とおくまで つたえられた、ということです。
お母様へ
●熊野神社
熊野橋の近くにありましたが、神明社に合祀されました。祭神は、スサノオノ命で、八岐大蛇(やまたのおろち)を切って天叢雲剣(あめのむらくもつるぎ)を得たといわれます。
●蛇と蛙となめくじ
古くから日本には、蛇は蛙を飲み、蛙はなめくじを食い、なめくじは蛇を溶かすという、三すくみの思想があります。「こんにゃくばばあ」は、蛇と蛙が手を組んで、なめくじをやっつける話です。なお、蛙は「お金がかえる」といわれ、信仰の対象にされました。
●金ぼりの滝
昔、金掘川の源には、崖からの噴流が数条あって、シマヤの滝といわれました。現在、この川は蓋をされています。金掘りの名からして金でも採れたのでしょうか。